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北埔について

北埔の町を歩くとき、多くの人がまず訪れるのは慈天宮の前です。
廟の外には、ゆるやかな傾斜の石畳の道が広がり、一方は北埔街へ、もう一方は南興街や城門街へとつながっています。
この三本の道は、まるで扇子の骨のように町全体の風景を広げて見せてくれます。廟の前の通りはにぎやかで、わずか数十メートルの間に、清代、日本統治時代、そして戦後に建てられた家々が並び、それぞれが静かに物語を語っています。
互いに競うことなく、時代を越えて共に存在するこの街並みは、今の台湾ではとても貴重な風景です。
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台湾の村や町には、それぞれに生まれた理由があります。北埔のはじまりは、「開拓」でした。
1834年(清の道光14年)、金廣福(キンコウフク)という開拓会社がこの地に館を構え、東南の山林地帯を切り拓く起点となりました。
その年、姜秀鑾(ジャン・シュウラン)率いる客家人たちは山へと入り、隘門(あいもん)を築き、砦をつくり、一歩ずつ森の奥へと進んでいきました。これは、竹塹(ちくせん/現在の新竹)の東南において、客家人が山とともに生き、土地と向き合いながら歩んできた百年にわたる開拓の物語です。

北埔|歴史

道ばたにひっそりと佇む古井戸に出会えば、まるで昔の記憶を静かに見守っているかのよう。
角を曲がれば、景色がぱっと開けて、思いがけない驚きが次々と現れます。朝のやわらかな光や、夕暮れのあたたかな日差しの中、百年の道を歩くたびに、どこかに置き忘れられた物語をたどっているような気持ちになります。ここにある一つひとつの瓦や石、一つひとつの風景やものたちが、言葉なくして北埔のぬくもりと古の時を語りかけ、心を静かに、遠い拓かれし時代へと誘います。
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北埔は、かつて「大隘(ターアイ)」と呼ばれ、防衛のために築かれた場所でした。開拓の時代は困難を極め、村を守るために壁を築き、見張り所を設けながら、人々は少しずつ暮らしの場を形づくっていきました。慈天宮の裏手に広がる民家の集落を歩けば、まるで時の流れにそっと包まれた秘密の世界に迷い込んだような感覚になります。
かつて防御のために重ねて造られた古い家々は、今では曲がりくねった路地となり、静けさと神秘的な雰囲気を漂わせています。
狭い石畳の道がゆるやかに続き、赤レンガや土壁には時代の風が刻まれ、屋根瓦や石段には苔が静かに這い、あらゆる場所に歴史の深みが息づいています。
北埔の朝ごはんは、たいてい「粄(ばん)」からはじまります。勤勉で物を大切にする客家の人々にとって、米は日々感謝と敬意を込めて使うもの。一鍋の米と一双の手から、つるりと白くなめらかな水粄、具がぎっしり詰まった塩味のちまき、そして丁寧に作られた菜包(野菜まん)が生まれます。どれも素朴で、でも決して雑ではありません。いちばん最初に香ってくるのは、客家ちまき。もち米の中には、塩気のきいた豚肉、しいたけ、ピーナッツがぎゅっと詰まっていて、しっかり包んで茹でると、その香りが朝の空気をふわっと包みます。ひとくち頬ばると、もちっとしていて、香ばしくて、心まで満たされる味。次に登場するのが水粄。米のとぎ汁を蒸して豆腐のようにやわらかく仕上げ、塩漬けのダイコンと刻みニンニクをのせて、甘辛い醤油だれをかけていただきます。つるんとした口あたり、ほどよい塩味、その味わいは、早朝だけが知っているやさしさです。
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北埔の朝は、やわらかな水気をふくんでいます。それは山霧のしっとりとも、濃霧の重さとも違う、まるで蒸籠(せいろ)から立ちのぼる湯気のような、米の香りと一緒に街角にふわりと広がる、あたたかな湿り気。早起きをすれば、屋台の火がすでにそっと灯っているのに気づくでしょう。蒸籠が幾段にも重ねられ、竹のふたがそっと開かれるその瞬間、通り全体が夢から目覚めたように感じられます。

北埔|食

北埔に来るのは、たくさん食べるためではありません。
「味わい、理解する」ために来るのです。
 
一椀の粄(バン)を食べて、この土地の暮らしが見えてくる。倹約だけれど妥協はなく、素朴だけれど、細やか。
 
この山あいの町もまた、にぎやかではないけれど、静かに、深く、物語を抱いています。
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そして、菜包(ツァイパオ)も忘れてはいけません。
もちもちとした皮は重たくなく、炒めた切り干し大根がぎっしり詰まっています。甘さと塩気のバランスが絶妙で、シンプルなのに、心に残る味わいです。地元の人にとって、これらの粄(バン)は「朝ごはん」。けれど旅人にとっては、まるでひとつの窓のよう。
その窓の向こうに見えるのは、ただの食事ではなく、「暮らしそのもの」です。北埔の食には、飾り気はありません。でもそこには、たくさんのこだわりが詰まっています。お米は新鮮であること。野菜はシャキッとしていること。手はぶれずに、心は落ち着いていること。
ひとつの粄をつくることは、生きることの練習でもあります。
日々の想いを米にこねて、何層にも重ね、そっと蒸しあげる——
そんな時間が、この町には流れています。
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